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専徳寺について

専徳寺について

浄土真宗の僧侶は仏法を弘(ひろ)めることが仕事です。昔と違い、お寺で待っているだけでは誰にも伝わりません。

『仏説阿弥陀経』というお経の中で6種類の鳥が登場し、1日に6回美しい声で鳴きます。
これらの鳥は、罪の報いで鳥に生まれ変わったのではなく、仏法を説き弘めるために阿弥陀仏が姿を変えて現れ出てくださった鳥たちです。
このように仏様は様々な工夫をして私達に仏法を説き弘めようとしてくださっています。

仏様のように私達僧侶が皆さんとご縁が繋がる為に、当寺では「子ども食堂」や様々な催しものなど、少しずつではありますが、始めております。
皆様とのご縁を大切に、もっと仏教を身近に感じていただけるような場所でありたいと願っております。

専徳寺の歴史

当寺は元々、和歌山県岩出市にあります根来寺に属していた道場でありました。

蓮如上人は河内出口、摂津、富田、和泉、堺、近江、堅田、鷺ノ森等を往来されていました。
※『空善記』『紀伊国紀行』参照
この頃に初代木村四郎兵衛は蓮如上人とご縁を頂いたと推測される。

  • 1494年(明応三年)木村四郎兵衛、蓮如上人御弟子となる。法名「唯念」
  • 1514年(永正十一年)唯念道場造営
  • 1635年(寛永十二年)良如上人より木仏寺号免許、これより専徳寺と名乗ることを許可された。

天水桝について

江戸時代の名工・奈良利の「天水桝」

江戸時代末期「石の左甚五郎(ひだりじんごろう)」と賞賛された地元の名工・奈良利こと奈良(屋)利兵衛の手になる一対の天水桝が本堂の両端に残ります。
本堂からの雨水を受ける大きな石造りの桝で、その4つの角を力士が支える造りになっています。
計八体の力士像は、それぞれポーズも表情も異なりますが、重い石桝を支える筋肉の張りや懸命な表情など、生き生きと生命力に満ちた表現が江戸時代の空気を今に伝えるかのような見事な造形です。
「樽井町誌」によると、当時から奈良利の名は大阪や京都にも広く知られており、「いたら見てこい、専徳寺の天水」と評判を呼んだとのことです。

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住職の紹介

【住職挨拶】
専徳寺第19代住職になり30年を越えました。先日教区からお祝い。もうそろそろやめれば?ということかな。
ここ数年嫌なニュースばかりの気がします。
価値観のベースになっているのが「勝ち組  負け組」という下劣な二項対立。これというのも、科学が自然を制覇したとか、ホモ・デウス、人類が神を越えたと思い込んでいる驕り。
私たちはそのような単純な理屈の中で生きているのてはありません。
勝ちでもあるし、負けでもある。勝ちでもなければ負けでもない。
縁起の道理に遇えば因果は1対1ではなく1対多の果が生じる。非常に豊かな領域が私を受け入れてくださる。
これが仏教、東洋思想なんです。そのような仏の心に触れていただきたいと思っております。

【副住職挨拶】
一昔前まではお寺に遊びに来る人、喋りに来る人、奉仕に来る人、様々な出入りがありました。
お葬式にしてもお寺やご自宅でするのがほとんどでした。
それが今となっては仏縁に遇うことすらない方が急増しています。
2011年に接骨院を開院しました。すると患者さんはお盆って何?お彼岸って何?など服装や場所が違うだけで皆さん気軽に聞いてきてくれるのです。
当寺と既にご縁がある方はもちろん、地域の方々やまだ当寺とご縁のない方々にも気軽に足を運んでもらえるようなお寺にしていきたいです。